でました!『寒ブリ宣言』

本日、12月2日(土)『寒ブリ宣言』がでました。本日の水揚げは540本!

鮮魚店に並ぶ氷見ブリには、しっかりと『氷見寒ブリ』の証がつけられております。丸々していて美味しそうです(^^♪

ひみ番屋街まるなか屋でも一汐ぶり、ブリ魚醤漬け、ぶり西京漬け、ぶり塩糀漬け、ぶり粕漬けなどブリ商品を販売中です。詰合せも出来ます。この機会にぜひ、お立ち寄りください

今日は、ひみ番屋街から見える富山湾ごしの立山連峰もキレイですよ~。

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魚の干物の歴史

海に囲まれた日本では、魚を干して保存性を高めた干物の文化が古くからあり、縄文時代の貝塚から魚や貝を干した形跡が発見されているそうです。
干物にも種類はありますが、一般的なのは塩味をつけてから干す方法です。魚肉に塩分が加わるとタンパク質に粘りが出て、低温で乾燥させることでタンパク質の構造が変わり、そして身に弾力が出て『旨み』が増します。旨みが増すのは、水分が減って味が濃密になるほか、魚のイノシン酸が寄与しているといわれています。

干物のイラスト

 

奈良時代の献上品に干物

奈良時代には、宮廷への献上品や租税として干物が納められていました。輸送手段が発達していなかった当時、日本各地から奈良の都に魚を運ぶには、魚の保存性を高めて、干物に加工する必要があったのです。
当時の記録によると、イワシなどの小魚の丸干しは「きたひ」、鮭やマス、スズキなど大きな魚の身を細く切って干したものは「すわやり」、魚の内臓を抜いて干したものは「あへつくり」と呼ばれていたそうです。

平安時代の宴の酒肴となった干物

平安時代になると、漁獲量とともに干物の生産量も増えてきます。保存のきく干物はその当時でも大変重宝されていたようです。
京の宮廷では、干物を「ひもの」と読まずに「からもの」と読んでいたと、古書に記載が残っており、都の市には干し魚の店が出ていたそうです。また、『源氏物語』には、光源氏たちが興じた宴の酒肴として、この「からもの」が登場し、酒の宴には欠かせない魚だったようです。

江戸時代には各地で干物づくりが発展

干物づくりが各地で大きく発展したのは江戸時代。当時、地方の大名は幕府への献上品や藩の産業振興のため、競って名産品の製造を奨励したことが干物の発展につながったといわれています。
元禄時代に編纂された『本朝食鑑』には、小田原のアジの干物を絶賛した記述もあります。その他、明石の干しだこ、長崎のからすみなど、現代に伝わる各地の名産干物の多くは、各藩のこうした努力の賜物から生まれたのです。
また、食生活が豊かになっていった江戸時代には、干物は庶民の食卓にものぼるようになってきます。『東海道中膝栗毛』の弥次さん・喜多さんがお伊勢参りに行ったように、旅をする人も増え、日持ちのする干物は、旅の土産としても人気だったようです。

現在は甘塩の一夜干しが主流

現在でも魚の干物は、日常のおかずや旅のお土産としても人気のある存在です。
大きく変わってきたのは、保存性を上げるため塩をしっかりきかせて干した干物よりも、現在では塩を控えてさっと干した一夜干しなどが主流になったことです。これには、保存技術の発達や流通の速度、そして健康志向で塩分を控えたいという時代風潮も影響しています。

干物をおいしくいただくためには、脂質の酸化を防いで、旨みが落ちないようにすることです。まるなか屋の干物の大半は、真空パックで空気に触れないようにラッピングしてあります。

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寒くなって氷見ぶりまるっとしてきました!

寒くなるにつれて、雨の中にもアラレが混ざってくるようになり、そろそろ9キロ~10キロ台の大物ぶりが氷見で獲れ始めました。

そして、この『まるッと』した形の良い鰤を切身にして『一汐ぶり』に仕上げました。

切身なので部位によっては、多少の大きさにバラつきはありますが、良い感じに脂のりがあって美味しそ~です(>_<)そのまま焼いても、照焼きにしても旨いです。

この大きさの鰤は、11月終わりから2月頃までの限定商品となりそうですのでお早めにどうぞ。

>一汐ぶりの商品詳細はこちらから

「ひみ寒ぶり宣言」間近!

氷見(ひみ)の本格的なブリシーズンを告げる『ひみ寒ぶり宣言』。

1年で『ブリ』が一番おいしい時期!
待ちに待った『寒ブリ』の季節“がもう間近です。

ひみ寒ぶり(寒ブリ)

11/21(火)に「氷見魚ブランド対策協議会」が開催され、今年度の『ひみ寒ぶり』の管理体制が決定。いよいよ出ますよぉ~!
昨年までは6kgを超えるものを『ひみ寒ぶり』としていましたが、今年からは7kgを超えるものを『ひみ寒ぶり』として認定されます。
今後、判定委員会が、水揚げされる魚の型、大きさ、数量等の状況を総合的に判断し、開始宣言が発表されます。待ち遠しいですよね。

築地で『氷見フェア』やります。

11/24~11/25の日程で築地場外での『氷見フェア』に出店します

氷見ブリほたるいか白えび商品を販売しますお近くの方はぜひ、お立ち寄りください。

店長の中島です★

まるなか屋オリジナル『ほたるいか生造り』も販売しますので

この機会にどうぞお立ち寄りください。

お歳暮はいつからはじまった?

年の暮れが近づいてくると、気になってくるのがお歳暮。今でこそ一般的な習慣になっていますが、お歳暮のはいつからはじまったのでしょうか。
贈る際には、時期や費用、マナーなど、気になることがたくさん出てきますね。まずは由来を知っておくと、お歳暮のことが理解しやすくなりますよ。

お歳暮の歴史

日本でのお歳暮のはじまりは、室町時代とも言われています。
江戸時代には一般的な習わしとして全国に広まり、明治30年代になると、親や親戚だけでなく、お得意様やお世話になっている方にもお歳暮を贈る習慣が定着していきました。

お歳暮の由来

お歳暮は、年越しの「御霊祭」で塩鮭、するめ、数の子、塩ぶり、魚介類の干物などを祖先の霊に供えた名残りで、こうした供物を嫁いだ娘や分家の者が本家に持ち寄ったことに始まります。古くは日持ちのするものが多かったようです。
その後、年末に帰省できない子どもや遠方に住む親戚が、祖先の霊や年神様に供える供物を本家に贈るようになり、やがて、日頃お世話になっている親類や上司、取引先などにも贈られるようになりました。
もともと「歳暮」は年の暮れを意味する言葉ですが、こうした年末の贈り物の呼び名として定着していったといわれています。

お歳暮のマナー3つのポイント

1.いつ贈るのか

元々は正月を迎える事始めの日、12月13日から贈る習わしがありました。
現在では年末はいろいろと忙しい時期でもありますので、最近では早まっている傾向があります。
ですが遅くても12月20日頃までには届くように準備しましょう。

2.のし紙の種類は?

のし紙は、紅白の蝶結びに熨斗が付いたデザインのもを用います。表書きは濃い色の墨を用いて楷書体で書くのが基本です。上書きは水引中央結び目の上に「御歳暮」と書き、名前書きは水引中央結び目の下に表書きよりやや小さめにしてフルネームで書き入れます。
ここ最近では「簡易のし」と呼ばれる短冊タイプ(短冊のし)も多くなりました。

3.挨拶状を添える

本来は、先様宅に直接訪問して送り届けることが習わしですが、最近では宅急便で届ける事が一般的です。
身内や気心の知れた友人に贈るときは電話で贈った旨を伝えるだけで構いませんが、日頃大変お世話になっている方に贈る場合は、挨拶状をつけましょう。お歳暮と一緒に添えるか、届いた頃を見計らってハガキや手紙を挨拶状として贈るのがマナーです。

 

お歳暮・ギフト